東京高等裁判所 昭和38年(う)1104号 判決 1963年9月25日
本店
埼玉県北足立郡戸田町大字上戸田一、一五七番地
株式会社原田伸銅所
右代表者代表取締役
原田源
本籍並びに住居
同町大字上戸田二、二二六番地
株式会社原田伸銅所取締役
朴海得こと原田源
明治四五年六月二七日生
右会社及び原田源に対する法人税法違反被告事件につき浦和地方裁判所が昭和三八年三月一二日言い渡した判決に対し右被告会社及び被告人原田源からそれぞれ控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意及びこれに対する答弁は、それぞれ、被告会社及び被告人の弁護人公文貞行提出の控訴趣意書並びに東京高等検察庁検察官検事大江兵馬提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらをここに引用する。
所論は原判決の量刑を不当としてその軽減を求める主張に帰するので考察するのに、なるほど記録によれば、被告会社は本件法人税逋脱の結果、逋脱当時の法である、昭和三七年法律第六七号国税通則法の施行に伴う関係法令等の整備に関する法律第二条による廃止前の法人税法第四三条の二により、法人税額の百分の五〇に当る重加算税を課せられ、国税通則法第六八条第一項所定の同税の現行比率(法人税額の百分の三〇)を遙かに上廻る価額の税金を既に納付済であることは所論のとおりであるが、重加算税の賦課は、税法上、制裁の趣旨を含めて納税の実を挙げる目的に出でた行政上の措置であつて、刑事罰とはその性質を異にするものであるから、同一行為につき重加算税のほか更に刑罰を科しても、いわゆる一事不再理の原則を規定する憲法第三九条後段に違反するものではなく(最高裁判所大法廷昭和三三年四月三〇日判決、民集第一二巻第六号九三八頁以下参照)、従つてまた租税逋脱の犯行後法令の改正により重加算税の税率が変更軽減された場合において、(改正法令の規定に則り)犯行当時の法令による重い比率によりこれを賦課されたからといつて、犯行後の法律により刑の変更があつた場合にその軽いものを適用すべきことを規定する刑法第六条の違反をもつて目すべき筋合ではないから、これをもつて直ちに所論のように原判決の刑が憲法第三九条及び刑法第六条の精神に反する苛酷な科刑であるとすることはできない。また、原判決挙示の証拠によれば、原判示法人税逋脱の事実は、被告会社の原判示事業年度における実際の所得額が金二、五八四万八、八四三円であること、被告人が法人税逋脱の犯意をもつて違反行為をしたことを含めてすべてこれを肯認することができ、爾余の証拠に徴しても、所論のように原審量刑の基礎となつた逋脱税額の認定が国税庁当局の更正決定による所得金額を基準とせず被告会社が所得の修正申告をなすに当り、国税庁査察官から指示された所得金額即ちいわば被告会社側の自認の形において一方的に押しつけられた合理的根拠のない数額を基準としてなされ、これがため苛酷な刑の量定がなされたものとは認められない。而して原判示事実及び一件記録並びに当審事実取調の結果にあらわれた被告会社の営業目的、経営及び納税の状態、本件逋脱犯の動機、その手段、方法逋脱にかかる税額、犯則利得の帰属被告人の経歴、資産収入、被告会社における地位、本件犯行関与の熊様、程度等諸般の情状にかんがみ、原判決の被告会社及び被告人に対する各罰金刑の量定は相当であつて被告会社が右犯則後所得の修正申告をし、当該事業年度における真正な所得金額に対する法人税の全額のほか、前記重加算税等を納付した事実その他弁護人所論の諸事情を有利に参酌考慮しても、これを変更して軽減すべき事由を認め難い。論旨はすべて理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条に則り主文のとおり判決する。
公判出席 検察官 大江兵馬
(裁判長裁判官 小林健治 判事 遠藤吉彦 判事 吉川由己夫)
控訴趣意書
被告人 株式会社原田伸銅所
同 原田源
右両名に対する御庁昭和三八年(う)第一一〇四号法人税法違反被告控訴事件につき別紙の通り控訴の趣意を提出いたします。
昭和三十八年六月二十一日
右被告人両名弁護人
弁護士 公文貞行
東京高等裁判所第五刑事部 御中
控訴の趣意
原判決は次の諸点を無視し或は軽視したる量刑の不当があるから破棄を免れないと信ずる。
第一点 憲法上の一事不再理の原則に照らすも原判決は極めて不当である。即ち憲法第三九条によれば「同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」と明示されているが、法務府検務局昭和二十五年二月発行租税資料第一号租税関係事件刑事判決集直接国税編四三頁によれば租税犯につき『追徴税の如きは法文上は「法人税」となつていても実質は罰金科料と同一のものであるから……一事不再理の原則の趣旨云々』と判示されているが、その後判例の態度には若干の変遷動揺があるにしても、本件の如く、すでに重加算税が賦課され納付済の場合に於ては更に法人税法第四十八条の刑事罰たる罰金刑を重ねて課することの不当なることは云うまでもなく、仮りにこれが許されるにしても、罰金額の算定については、先行の重加算税額が控除的に考慮されるべきは云うまでもない。このことは旧法人税法の第四三条の二(現行国税通則法第六八条)と法人税法第四八条の規定の措辞を対比すれば極めて明かである。即ち旧法人税法第四三条の二(現行国税通則法第六八条)には重加算税の課税対象行為として
「事実の全部又は一部をいんぺいし、又は仮装し」
とあり、法人税法第四八条にはその対象犯罪行為として、
「詐欺その他不正の行為により」
とあつて同巧異曲何れもその手段を同一にし、またその結果に対しても、一方は重加算税、他方は罰金と名目こそ異なれ、実質的には財産罰を課していることは両者何等異なるところはない。
本件に於て被告会社が当時極めて高額の五割即ち金三百四十万円余の重加算税を賦課され、納入していることは原審第一〇回公判調書の証人吉田陽の証言等その他の証拠に照らすも極めて明かであつて、本件に於て更にこれに加えて極めて高額の罰金刑を課したる原判決は一事不再理の原則を無視したる不当があると云うべきである。
第二点 しかもその重加算税率は本件行為当時は法人税法第四十三条の二により法人税額の百分の五十即ち五割であつたため、被告会社はその計算に基き、すでに金三百四十万円余を賦課せられ納入済であるが、その後法律の改正に伴いその税率は国税通則法第六十八条の規定する通り百分の三十即ち三割に軽減せられているに拘わらず、旧法当時の多額な重加算税の上に更に重ねて課されたる原審の高額なる罰金刑は刑法第六条の原則の趣旨に照らすも過剰罰的内容を有し苛酷なものであると云わざるを得ない。
第三点 本件に於ける法人税の課税経過に於ては原審証人吉田陽(第十回公判調書)の証言等によるも、更正決定の方法によることなく修正申告の方法がとられていることは明かであるが、このことは証拠法則上より見るも極めて遺憾なことであつて原審に於ける逋脱額の認定は正確を欠ぐきらいなきことを保しがたい。しかも本件に於けるその修正申告は修正申告の本来の姿であるべき納税者の自発的申告によるものでなく、その数字額等は国税庁査察官によつて指示せられたものであることは前記原審証人吉田陽に対する問答中に
「問―修正申告は向うからこれだけ出せと云われた額だけ出したのですか。
答―云われたとおり出しました」とあるによつても明かである。
修正申告を一種の自白行為と見るならば本件は、いわば作られたる自白を基礎として逋脱額が認定せられたものであつて、更正決定の方法によることなくして、重加算税等を賦課し更に刑事訴追への挙に出でたる本件は被告人に対し余りに苛酷なる処置にあったと云わざるを得ない。
このことは例えば原審に於ける検事の冒頭陳述書の六の(二)(ロ)の交際費百万円について見るも、渡し切り交際費でもない限り(また渡し切り交際費など税務上認められるものでない)年間に於ける多数口の交際費の合計額がピツタリ大きい丸数字の百万円となることなどは現実にあり得るものでなく、少くとも百弐拾万円を超過するものであつたことは前記吉田証人並びに第十一回公判調書に於ける被告人原田源の供述によるも明白である。
第四点 前述の通り本件に於てはすでに一応税の逋脱を自ら是正しようとする納税者の自発的形式に於ける修正申告が行われ、これに基き高額の重加算税が課せられた上に更に本件刑事罰の訴追を求めたる当局の態度は極めて遺憾と云わざるを得ない。若し本件の如く刑事罰の訴追を求めようとする意図が最初からあつたとするなら修正申告をまつまでもなく、堂々と更正決定の方法に出るべきであつたと云わざるを得ない。
けだし本件の如く当局の指示があつたにせよ、被告人自ら修正の申告をなし納税をなしたる以上は、もはやすでに逋脱行為に対する自認自白がなされたも同然であり、後になつてこれを争うことは極めて困難になるからである。
これらの事情を勘案するときは多額の重加算税の上に更に起訴逋脱税額に膠着して高額の罰金を課し去つた原判決は余りにも被告人等に苛酷と云わざるを得ない。
第五点 本件に於ける犯意は極めて稀薄である。即ち公訴事実に於ける『架空仕入を計上し、雑収入の一部を脱漏する等の方法により』だけでは決して法人税法違反罪は成立しないのである。法人税法第八条及び第九条の規定によれば法人税なるものは各事業年度の総益金から総損金を控除した金額に課税するものであつて、本件に於けるが如く総益金面に於ける収入の簿外処理があつたにしても、これに対応する総損金面に於ける簿外の損金支払があるならば犯罪は決して成立しないのである。論より証拠検察官の冒頭陳述書によるも、
(一)の「隠匿した総所得」
そのものを直ちに逋脱税額と認定することなく、更にその金額から
(二)の「簿外所得による経費認定分」
を控除したものを本件の逋脱税額即ち犯罪額と認定しているのである。然らば被告人等の犯意は果してどうであつたろうか。原審第十一回公判調書の被告人原田源の供述によれば「動機」は何であるかの弁護人の問に対し、被告原田源は労働基準法の関係その他で就業員の給与等を正規のものの外に簿外で処理支給しようとした意図に出でた旨答えているのであつて、若しこれらの簿外支給額が当該事業年度に於ける簿外収入額を上廻つていたとしたなら本件犯罪は全く成立しなかつたのである。このことはすでに検察官の前記冒頭陳述書自体に於て、
残業手当、皆勤手当、通勤手当として金六百三万九千三百七十六円
の支給を犯罪収入金額から控除することを認めざるを得なかつたことによつても疑う余地がない。本件はたまたま結果的に見て、簿外経費が限界事業年度に於て簿外収入よりも少なかつたまでであつて最初から法人課税の対象たる所得(収入と経費等との差額)そのものを隠ぺいしようとする意図は被告人等には殆んどなかつたと云える。かかる悪質性の稀薄は、すでに十分過ぎるほどの多額なる罰則的な重加算税が賦課徴収されている本件に於ては十分顧慮されるべきであり、仮りに刑事罰を課するにしても、寛大な名目的処理を以てして足りるものであつたにも拘わらず高額の罰金実刑を課し去つた原判決は不当と云わざるを得ない。
第六点 凡そ租税理論に於ては負担力主義、犠牲主義、無償主義等の外に、応報主義乃至対価主義的な要素が多分にあり、しかも近代国家になればなるほど、いわゆるチープ・ガバーメント即ち出来るだけ少い税金で、出来るだけ多くの国家的恩恵乃至サービスを保証されることこそ望ましいのは云うまでもない。しかるに本件被告人会社にありては社長たる被告人原田源か当時外国人たる朝鮮人であつたため、日本の国家的恩恵を受けることは日本人に比しかなり少なかつたと云える。このことは原審証人吉田陽(第十回公判調書)の証言にも
「政府関係の融資の窓口で社長が朝鮮人であるからということで、はねられました」
とあり、更に第十一回公判調書の被告人原田源の陳述にも「注文をうける時朝鮮人なるが故に不便を感じたか」の問に対し、
「東芝や日立等(かかる大手筋には国家予算関係の大量発注があるのは当然)へ品物を入れているのですが、ぢか取引をやつてくれないので」
とあることによつても明かである。しかも反面、納める税金面に於ては日本人と全く同率同額で何等の特典もなかつたことは原審公判廷に於ける吉田証言や被告人原田源の供述によつて明かであり、このことは税法犯たる本件の課刑上大いに同情的に考慮されるべきであつたと思料する。
第七点 被告人原田源は被告人会社の代表取締役であつたが、彼自らは本件行為により毫末も私服を肥やしていなく、従つて認定賞与も課税されていないことは原審公判廷に於ける吉田証言及び被告人原田源の供述その他の証拠に照らし明白であり、こと専ら困難なる会社運営のために出でたものであつて、かかる被告に対し原判決が検察官の求刑そのままの金四拾万円の高額なる罰金に処したことは余りにも気の毒といわざるを得ない。
第八点 被告人原田源は本件行為を大いに自省し「申し訳ないと思つています。その為に修正申告をしたわけなのですが、これからは間違いの起らないようにやつて行きます。」(第十一回公判調書)と誓つており、その後日本人への帰化も認められたのであつて、再犯の恐れは絶無といつてよい。
第九点 これを要するに、本件は無罪的要素を多分に包蔵するとともに、他面大巾に斟酌すべき情状が随所に発見せられるに拘わらず、被告人原田源に対し検察官の求刑通り金四拾万円、被告人会社に対して僅かに求刑額の二割の減額をなしたのみで高額の罰金刑を課した原判決は余りにも重きに過ぎるものと云わざる得ない。